
大東駿介の壮絶な生い立ち!父親と母親・実家と家族まとめ
映画「罪と悪」などで知られる俳優・大東駿介の壮絶な生い立ち、実家と家族をまとめました。
両親が蒸発しネグレクトを経験した大東駿介が生まれ育った実家の壮絶なエピソード、離婚した父親・母親・兄弟など家族の情報をお届けします。
大東駿介のプロフィール
名前:大東 駿介(だいとう しゅんすけ)
生年月日:1986年3月13日
出身地:大阪府堺市
血液型:A型
身長:182cm
大東駿介は、BLUE LABEL所属の俳優です。
2005年に芸能事務所トップコートのオーディション「トップコート杯 Try to Top 2005」でグランプリやFINE BOYS賞を受賞したことで芸能界入りしました。
男性向けファッション雑誌「FINE BOYS」の専属モデルとして芸能活動を開始し、日本テレビドラマ「野ブタ。をプロデュース」で俳優デビューしました。
これまでにドラマ「おいしいプロポーズ」「タンブリング」「平清盛」「らんまん」や、映画「クローズZERO」「リアル鬼ごっこ」「曇天に笑う」などに出演しています。
5年間隠していた結婚が明るみに
私生活では2020年に週刊誌「女性セブン」により、2015年に一般女性と結婚していたこと、結婚直後から別居生活を送っていたこと、3人の子供がいることが報じられ話題になりました。
報道時には妻子との同居を始めていたようですが、5年間にわたり妻子があることを隠していたことや、別居していた理由に注目が集まりました。
大東駿介は結婚し子供がいたにも関わらず別居していた理由について、過去の壮絶な生い立ちが理由だと明かしています。
ここでは幼い頃に両親が蒸発しネグレクト家庭で育った大東駿介の生い立ち、実家と家族をまとめました。
壮絶な実家エピソード、離婚した父親・母親、兄弟の有無など、家族の情報をお届けします。
大東駿介 中2で母に捨てられた8月29日🟢 小学生の時両親が離婚。中学になると母が家を出てしまい1年間一人で貧しい生活を送りました。親に捨てられた事で自分の価値を見失いかけましたが俳優という夢を抱き続け「広い世界のどこかに居場所がある」と信じる事で乗り越えました https://t.co/lP4taFXnE9
— ꕤ𝚈 𝚄 𝙸ꕤ (@YUI03250325) 2024年8月29日
大東駿介の壮絶な生い立ち
大東駿介の壮絶な生い立ちは、2019年11月30日放送のトーク番組「A-Studio」や、インタビューなどで明かされています。
大東駿介は幼い頃に両親が離婚し、小学生の時から父親と離れて暮らしていたこと、中学2年生の時に母親が家に帰ってこなくなったことを明かし、ネグレクトを受けていたことを告白しました。
大東くん、話すのもつらいと思うんだけど…。
— ☆ゆかリボンreborn☆ (@yukaribon0313) 2021年10月5日
生きててくれてありがと😊
俳優大東駿介をこれからも応援します!
あなたに会えてよかったよ☆
離婚、母が帰ってこない…。壮絶ネグレクトを語る。【大東駿介】 https://t.co/XpHbyRtve9 @YouTubeより
母親が帰ってこなくなり極貧生活
大東駿介の実家は自宅1階でクリーニング店を営んでおり、母親が一人で切り盛りしていました。
ある日大東駿介が学校から帰ると自宅に母親の姿がなく、朝になるまで待っても帰ってこない日がありました。
次第に母親は2日帰ってこない、1週間帰ってこないと徐々に帰宅しない日が増え、最終的に全く帰ってこなくなったといいます。
食事は自宅にあったパスタにポン酢をかけたり、牛丼を買ってきてしのいでいたようですが、そのお金も底をつき、実家クリーニング店のレジに残っていた1円玉をかき集めて駄菓子を主食にし始めました。
もちろんそのお金もすぐに底をついてしまい、学校で担任の先生から菓子パンを貰うことでなんとか飢えをしのいでいました。
ネグレクトが原因で中学は不登校に
大東駿介の中学校は昼食に弁当が必要でしたが、母親が帰ってこずお金もないため弁当を用意することができませんでした。
当初は担任の先生から菓子パンを貰うこともあったといいますが、大東駿介は次第に気を使わせることがしんどくなり、中学2年生の時に不登校になりました。
学校に行かなくなった頃から家のライフラインが止まり、電気のない家で生活していたといいます。
電気もつかず真っ暗な中で生活する日々は大東駿介の心を蝕み、引きこもりに拍車がかかるようになりました。
伯母や友人の支えで生活が立ち直る
そんな生活が1年ほど続いた後、近所に住む伯母に引き取られ、学校にも再び通えるようになり、高校にも進学できました。
大東駿介は伯母について「わが子のように育ててくれた」と語っており、両親に変わって育ててくれたことに感謝しているようです。
また、その頃の大東駿介の心を支えてくれたのは、中学の友人でした。
不登校になった大東駿介のもとに毎日「大東、遊ぼう!」と声をかけに来てくれて、家のドアを突き破ってまで大東駿介を引っ張り出し、大東駿介の実家の部屋を秘密基地のようにして過ごしていたといいます。
その友人のうちの一人が、お笑いコンビ「金属バット」の小林圭輔であることも明かされました。
大東駿介 育児放棄された過去 ライフライン止まり心も貧しく 「飛び降りようと」失意からの再起(スポニチアネックス)
— Regain Access (@PA_ischildabuse) 2021年10月6日
>小3の時に両親が離婚し、「母は中2、3年からあまり帰ってこなくなった」という。
https://t.co/xdeKDSniRp
大東駿介の実家
大東駿介の実家は大阪府堺市にあり、実家では母親がクリーニング店を営んでいました。
母親が帰ってこなくなってからの生活は貧しく、不登校になり学校という社会から離れ、電気もつかない実家で一人で過ごしていました。
実家のライフラインが止まり、風呂にも入れず洗濯もできず、不潔な状態が続いたことで、大東駿介は当時の自分について「異物として扱われるのではないかという不安」を感じていたといいます。
現在は大阪を離れているため、実家がどうなっているかは不明です。
大東駿介の家族:離婚した父親・母親
大東駿介の家族構成は父親・母親・本人の3人家族でしたが、小学3年生の時に両親が離婚しました。
両親の離婚については、母親が近所のケーキ屋の店員に離婚の報告をしているのを聞いて知ったといいます。
大東駿介の家族:父親
大東駿介の父親はタクシー運転手でした。
離婚前から家を空けることが多かったようで、離婚したことを知った時もそれほどダメージがなかったことを明かしています。
大東駿介は8歳の時から父親に会っていませんでしたが、30歳手前になって会ってみようと思った時にはすでに亡くなっていたことがわかりました。
大東駿介の家族:母親
大東駿介の母親は実家でクリーニング店を営んでいました。
なぜ家に帰ってこなくなったのか、その理由は明かされていません。
現在も大東駿介と母親に交流があるかは不明です。
大東駿介の家族(兄弟)
大東駿介は一人っ子で、兄弟はいません。
兄弟がいないため、ネグレクトを受けていた頃は他に頼ることもできず、真っ暗な家でたった一人で孤独に耐えていたといいます。
伯母に助けられてからは10歳ほど年上の従兄弟から東京の話を聞いて夢を膨らませ、「広い世界のどこかに自分の居場所を見つけるんだ」という思いを支えにやってきました。
高校卒業後はその従兄弟の家に居候し、オーディションに合格して芸能活動を開始しました。