中田英寿のプロフィールを紹介!

中田英寿

中田英寿

名前:中田英寿(なかた・ひでとし)

生年月日:1977年1月22日

出身地:山梨県

身長:175cm

体重:72kg

愛称:ヒデ

中田 英寿(なかた ひでとし、1977年1月22日 - )は、日本・山梨県甲府市出身の元サッカー選手。元日本代表。愛称は「ヒデ」。国際サッカー評議会(IFAB)諮問委員。株式会社東ハト執行役員。一般財団法人「TAKE ACTION FOUNDATION」代表理事。観光庁「アドバイザリー・ボード」メンバー。

出典:Wikipedia

サッカー界のスーパースター

サッカー界のスーパースター

中田英寿さんは言わずと知れたサッカー界のスーパースター。

小学3年生の頃にお兄さんの影響で『北新サッカースポーツ少年団』に入団し、サッカーを始めました。

世界のトップ選手にしては、始めるのがそんなに早くなかったんですね!意外です。

その後中田英寿少年は、甲府市立北中学校3年生の時に15歳以下の日本代表である『U-15』に選抜されます。

しかし、関東選抜の一員ではあった中田少年ですが、そこでレギュラーではなかったため、中学校の監督は『落選するだろう』と思っていたんだそう!

当時の中学校の監督が選考理由を尋ねたところ、「多少の技術力よりも世界と戦える身体能力」ということで選ばれたんだそう。

スタッフに選考理由を尋ねると「世界で戦うには、少しばかりのテクニックよりもフィジカル面の強さの方が大切。技術面では中田君より上の選手はたくさんいるが、フィジカル面の強さでは、彼はいいものを持っている。そこを評価した」と言われたという

出典:Wikipedia

飛び級で大会に参加

飛び級で大会に参加

その期待通り、中田英寿さんはU-16のアジアユースにも選出された以降は全ての年代別の日本代表に選出され、年代別の世界大会である『U-17世界選手権』、『U-19アジアユース』、『ワールドユース』にも出場。

しかも『U-17』『U-19』『ワールドユース』のいずれにおいても、”飛び級”で参加したとのことですから、どれだけの活躍を見せていたのかが分かりますよね。

オリンピックは19歳の時のアトランタオリンピック、23歳の時のシドニーオリンピックと、二度の出場経験をお持ちです。

マイアミの奇跡

マイアミの奇跡

1996年のアトランタオリンピックでは、「マイアミの奇跡」と呼ばれるブラジル代表戦での勝利にも貢献しました。

しかし、次に戦ったナイジェリア代表戦では、自チームのDFに対して「もっとラインを上げてくれないと攻撃が出来ない」と注文したことに対し監督から叱責され、最終戦ではスタメンを外されたことも。

当時の中田英寿さんの主張はただの独りよがりなものと判断されてしまったのでしょうか。

ワールドカップに初出場

ワールドカップに初出場

Jリーグではベルマーレ平塚に所属し、1995年から1998年までの3年間活躍しました。

転機となったのは1998年に開催されたフランスワールドカップ。

日本代表はワールドカップに初出場し、そのチームの中軸となったのが他でもない中田英寿さんだったのです。

グループリーグ3戦にスタメンでフル出場し、決勝トーナメント進出こそ逃しましたが、中田英寿の名を世界に轟かせるには十分な内容でした。

日本の初出場となった1998年フランスW杯では、チームの核としてグループリーグ全3試合にフル出場。中田のプレーは海外のクラブに認められ、W杯後獲得に名乗りをあげたクラブは12にのぼった。

出典:Wikipedia

21歳でイタリアのセリエA・ペルージャへ!

21歳でイタリアのセリエA・ペルージャへ!

フランスワールドカップ後、21歳の若さでイタリアのセリエA・ペルージャへと移籍が決定。移籍金は470万ドルだったそうです。

移籍した初年度の1998年-1999年シーズンでは、年間10得点をあげ、MFとしての当時の日本人海外リーグ最多得点記録を打ち立て、セリエA初年度の外国人選手を対象にした『セリエAサプライズ賞』にも選ばれました。

1999年-2000年シーズンはシーズン中に名門ASローマへと移籍。しかし、リーグのトップを走るASローマとあって選手層も厚く、中田英寿さんの出場機会も徐々に減っていってしまったようです。

33億円でパルマへ移籍

33億円でパルマへ移籍

2001年にはASローマを離れ、同じイタリアのパルマへ移籍。
アジア人としては最高額の33億円での移籍でした。

パルマでの成績はあまり思わしくなかったようですが、2002年に開催された日韓ワールドカップではグループリーグ3試合に出場し、初の決勝トーナメント進出に貢献。

自らもチュニジア戦で1ゴールをあげるなどの活躍を見せていました。

25歳で記念すべき地元開催となった2002年日韓W杯に出場。精神的にもチームを牽引する中心選手として、グループリーグ3試合、決勝トーナメント1試合の全試合に出場した。グループリーグのチュニジア戦では、ヘディングで自身のW杯初ゴールを記録した。

出典:Wikipedia

2006年7月3日に引退を発表

2006年7月3日に引退を発表

2006年に開催されたドイツワールドカップにも日本代表として召集された中田英寿さん。

このワールドカップを最後に引退すると前々から決めていたそうですが、残念ながらグループリーグ最下位で決勝へは進めませんでした。

中田英寿さんの最後の試合となったブラジル戦の試合終了後、ピッチの上で仰向けに寝転がる姿は多くの人の心を震わせましたね。

2006年7月3日に、自身の公式ホームページにて現役を引退することを発表。20年以上続いたサッカー人生に終わりを告げたのでした。

世界を舞台に戦ってきたサッカー選手が20代で現役を引退するのは少し早い気もしますが、中田英寿さんは純粋にサッカーを楽しんでいたからこそ、お金のためにサッカーを続けることを選択しなかったんだそうです。

また、年齢が上になり、経験も豊富になっていくことで必然的にチームのリーダーとして扱われ始めたことに対しても、『自分には向いていない』とすっぱり引退した原因とも語っています。

そして「お金を稼いでいるということを、自分の人生に対する裏切りだと感じたんです。サッカーに人生を懸けてきましたが、それはサッカーが好きだったからで、お金のためにやっていたわけじゃない。そのバランスが崩れてしまった。楽しくないことを、お金のために続けるのは、僕には考えられなかったんです。」とその思いを語っている。
「98年に(代表に)入った時は一番下のほうで、好きで遊んでやっていい。自分の中で一番楽しかった」と中田氏。3度目の出場となった06年大会は「年齢も一番上になって、周りの目線が少しだけ『お前、少しまとめたほうがいいんじゃないか?』って。まとめるのは僕の性格に合わない」と当時の心境を語った。

引退後の仕事は?

引退後は世界旅行?!

引退後は世界旅行?!

大抵のスポーツ選手が引退をすると、その競技に携わった仕事をしたりするものですが、中田英寿さんは引退後は”世界を旅する”といい、行先不明の放浪の旅に出発。

2017年までに世界120か国ほどを旅したと言い、生きているうちに200か国は回ってみたいとも語っていました。

2006年の現役引退後から、“旅人”として世界中を巡っている中田氏は、これまで110から120カ国を訪れたことを明かし、「人生の目標の一つとしてできれば生きているうちに200(カ国)は越えてみたい」と今後も旅を続けることに意欲を見せた。
実業家として活躍

実業家として活躍

また、現在では実業家として様々な分野で手腕を発揮しており、財団法人『TAKE ACTION FOUNDATION』を立ち上げたり、お菓子メーカー『東ハト』の執行役員にも名を連ねたり、日本酒のアプリを共同開発したり、まさにオールラウンダー的な活躍を見せています。

サッカー関連の仕事も!

サッカー関連の仕事も!

もちろんサッカーに関係する仕事も行っています。

FIFAからは親善大使に任命されていますし、古巣であるベルマーレ平塚のスポンサーにもなっています。

出身地の山梨県クラブチームである『フォルトゥナFC』のサポートも行っているなど、サッカーをビジネスとしてでなく心から愛しているのがその活動からも伝わってきますね。

中田英寿の彼女と噂された女性たち!

様々な女性との噂

様々な女性との噂

そんなスーパースターの中田英寿さんですが、現役時代から今に至るまで、実に様々な女性と浮名を流しています。

これまでに中田英寿さんと交際の噂があった女性たちをご紹介していきましょう!

宮沢りえ

プロフィール

プロフィール

名前:宮沢りえ

生年月日:1973年4月6日

出身地:東京都練馬区

身長:167cm

血液型:B型

所属事務所:エムツー企画

雑誌『BUBKA』にて激写

雑誌『BUBKA』にて激写

中田英寿さんと宮沢りえさんの噂が出たのは2003年のこと。

雑誌『BUBKA』に中田さんと宮沢りえさんの仲睦まじい姿が掲載されたのです。

BUBKAによると、この日は芸能人が多数集まるパーティーだったようで、そこに居合わせたマスコミ記者によって激写された写真とのこと。

親密そうに見つめあったり、肩を寄せ合っていたそうですが、決定的な写真がもう一枚掲載されたのです!

ノリにしては本気すぎる・・・?

ノリにしては本気すぎる・・・?

それがこのキス写真!

その場のノリにしてはちょっと本気すぎるキスですよね…。

しかしお二人がこのまま真剣交際に発展したという情報はなく、本当にただのノリだけでキスをしただけのようです…。

山口もえ

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